2008年4月26日 長谷寺 白豪寺 柳生街道に行った。
奈良市立写真美術館には入江泰吉の写真やカメラが展示してある。そこの写真を見るたびに、自分の写真が彼の撮ったものと似て来ている。数年前は写真を勉強したかったので彼の撮り方をまねしていた。当然のことか。 彼は奈良の風景を撮り続け、晩年は草花を撮り続けた。奈良の風景は昭和40年代後半以降大きく変わっているように思う。鉄筋や鉄骨の建物、高架の道路などたくさんの建造部ができた。それ以前の奈良の風景に溶け込まない。そこで変わらない草花に救いを求めたのかもしれない。 彼の観光写真を見てたくさんの方が訪れたかもしれないが、人が集まれば風景も変わらざるをえない。愛する風景が消えていく。しかし風景を撮って人に見せたい。 そういうジレンマに陥っていたかもしれない。私の想像です。ごめんなさい。 奈良の大きなお寺は建造物ではあるが風景の大事な要素になっている。 風景の要素になるには時間、材料、位置、大きさ、高さ、建物どうしの位置関係、人や暮らしとの関係、などなどいろんなことが必要なのかもしれない。 今回行った長谷寺、白豪寺、柳生街道どれも風景の大事な要素だ。
コメント