ブラックエンペラーという暴走族の歴史について書かれたものを引用。
1970年夏に金沢駅前などにバイクや車に乗ったサーキット族。やじ馬が集まり投石などをしている。 この事件を思い出し、検索してみた。 深夜車を乗り回し 人に突っ込んだ亀岡の事件。 深夜車を乗り回すという行動はにている。 私自身その頃は大学生で深夜に車を乗り回し交通違反をそそのかそうとした事がある。 今回の亀岡の事件は彼ら個人だけで片付けられるものではない。
/21排気量750?M白バイが警視庁各交通機動隊に配車された。8/19映画『イージーライダー』が公開され、カミナリ族にチョッパー・ブームが起きる。チョッパーに使用する「イーグル・ハンドル」の安全性が疑問視させ、自動車工業会2輪車対策特別委員会が運輸省の要請によりテストをし、「操縦及び安全性が劣る」との結論を発表した。8/20「道交法の一部改正法」が国会を通過し施行された。これにより、少年にも交通反則通告制度(交通反則金制度)が適用されるようになった。19715/15警視庁は都教育庁へ「高校生の大型オートバイの安全運転の指導強化」を依頼する。この日までに都内で13件のオートバイ事故で14人が死亡。このうち750?Mは7件。都内一般利用の750?Mは2500台で、全オートバイ台数の1割弱だが、死亡事故率は5割以上になる。6/18「道交法施行令」の一部改正法令により、自動2輪運転者は時速40キロ以上の道路でヘルメットの着用を義務づけられた。施行は72年5月1日から。11/8警視庁少年1課は、「志竜会」を結成し、オートバイや自動車を無免許運転で乗りまわし、恐かつ、暴行などをくり返していた中野・杉並の非行高校生206人を補導した。11/242輪車安全運転普及協議会が発足。12/31この年、全国自動車保有台数が2000万台を突破。19724月この頃から全国各地で、土曜日の夜にサーキット族が走りまわる。警察の規制も同時に開始したが、ますますエスカレートするばかりだった。6/17~18「富山事件」発生。4月頃から毎週土曜日の夜に国鉄富山駅前の繁華街を走りまわっていたサーキット族のうち1台が、17日午後11時50分、乗用車に衝突。8人が重軽傷。この事故をきっかけに、警察の規制に反発し、100台以上にサーキット族が暴動を起こし、見物にきていた約2500人の群衆が自動車や商店をぶちこわすなど大暴動となった。富山県警から警官280名が出動、サーキット族63人を検挙。約6時間後におさまった。6/19警視庁交通部は少年1課と協力して都内の「カミナリグループ」の補導開始を決定した。同時に都内の「カミナリグループ」約30グループを発表した。6/24「富山事件」の翌土曜日。富山県警は警官1300人を動員し規制にあたったが、検問から逃げようしたサーキット族の1台が、ひき逃げ殺人。この騒ぎは高岡市へも飛び火し、約800人のヤジ馬が集まった。7/2暴走騒ぎが、金沢市、小松市、岡山市へ広がる。サーキット族が走りまわり、ヤジ馬が集まるというパターンが「富山事件」より飛び火した。7/3警視庁が各地に広がる暴走騒ぎ対策を都道府県警へ通達。対策方針は「サーキット族が集団化する前に、徹底追尾し違反を取り締まる。」7/8広島県福山市、金沢市で再び暴走騒ぎ。ヤジ馬が投石などをする。爆竹が使用された。7/22高知市、福山市で暴走騒ぎ。高知市ではヤジ馬が3,000人も集まり放火にまでエスカレート。福山市では1,000人のヤジ馬が集まり、68人が検挙された。爆竹、かんしゃく玉が盛んに使用された。8/1シンナー遊び一斉取り締り開始。「毒物及び劇物取締法」が一部改正され、「シンナーの吸入および吸入目的所持」は3万円以下の罰金。「吸入することを知りながら販売、授与」は2年以下の懲役、または5万円以下の罰金。8/16警視庁、日比谷、青山地区を中心に「夏期カミナリ族集中取締り」を実施8/16公道レース中のサーキット族のオートバイが歩行者をひき殺す。ガソリンスタンドマン(18)逮捕。8/30深夜の青山でサーキット族の少年2人(17才・16才)がサラリーマンの給料をひったくり、逃走したが逮捕された。犯行理由は「金がなく、ガソリンが買えなかったから」。9/10午前1時30分ごろ、横浜市本牧市民公園駐車場で、東京と横浜のサーキット族60人が乱闘。約20台、40人の東京のグループを2台のトラックに分乗した横浜のグループ20人がこん棒や鉄パイプで襲撃した。10/12夏以来、毎週末に日比谷公園や神宮外苑などで乱闘や傷害をくり返していた「グループ・エイト」など6グルー
プの摘発結果を警視庁が発表。81人が送検され、40人が補導されていた。