2009年9月26日27日
北海道に行ってきたところだったが、九州も見ておかないと片手落ち。博多、大宰府は京都と関係が深いところ。大
宰府は倭国から日本が出来上がるころの防衛の拠点だったところ。 大宰府から唐が侵入すると一気に畿内に攻
め込まれると思い天智天皇が都を大津まで引き下げたという話を聞いたことがある。 また遣唐使の出発点でもあ
ったろう。 白村江の戦いで捕虜になって帰ってきた人が集まるところだったかもしれない。白村江 遠山美都男著
講談社現代新書。 大宰府に行ってみると よくわかった。 博多からは見えない。平地に水城を築いて侵入を
防いでいる。 現在水城は鉄道や高速道路などで寸断されているがかなり残っている。 京都市内にもおどい
があるがよく似たものだ。 観世音寺には鑑真和尚が伝えたとされる菩提樹があった。鑑真和尚は戒壇を授けること
ができる僧侶であった。この寺は戒壇の寺でもある。 五重塔の礎石の横に首のないお地蔵さんがあった。 もしか
して廃仏毀釈でやられたのかもしれない。 大宰府というと天満宮、菅原道真と反射的に思ってしまうが、 たくさ
んの歴史を持ったところだ。 はなしは変わるがモーゼの十戒があるように仏教にもたくさんの戒めがある。 戒め
を守らない僧侶がたくさんいるから、廃仏毀釈なんて起こったのだろう。 現在でも僧侶は葬式などの法事しかしな
い。 酒をのみ、生活は乱れている。 また廃仏毀釈とよく似たことが起きるかもしれない。 現に葬式は高いと値切
る人、墓なんていらないと思う人が増えている。 一方神社はあの手この手の御利益を作り出し集金している。
北海道には明治以降に本州から移り住んだ人が暮らしている。 真新しいブリキやコンクリートで作った鳥居や社
がたくさん見られた。 収穫祭の時期ではある。大地に感謝する祭りだ。コメの収穫祭が最重要行事である神社は
出番があるのかどうかは知らない。 天皇家が日本を支配していることを唐に見せるために蝦夷の人々も多数
連れて行ったようだ。 人は一人では生きては行けず、社会の中でしか生きられない。 そこには宗教も支配
関係も当然生まれてくる。 戒めを守ると肉体、精神を自由にすることができる。そのような戒めがたくさんある。
薬物をやる自由もあるが薬物をやらない自由もある。しかし薬物をやると、自由がなくなる。求めるために時間も金
もなくなる。犯罪も犯す。 戒めというのは”薬物をやってはいけない”というようなことだ。 人間に自由と尊厳をあ
たえるものだ。 それぞれの宗教によって戒めの内容は異なるが、 人間に自由と尊厳を与えるという点では似てい
ると思う。 いろんなことを書いたけれど 見ている風景のなかに人の社会生活がぎっしり詰め込まれている。歴史を
少し勉強しながら風景から感じ取っていく。 旅がたのしい。