2009年10月11日12日 氷見 七尾 金沢 輪行
小松の老人ホームに母が、辰口の病院に父がおり見舞う。
病院から近い美川駅より氷見駅までJR。氷見線の列車には藤子不二雄Aのサインがあった。
案内の声も忍者ハットリ君だ。
雨晴は小さい頃海水浴に行ったところだ。氷見から北へ自転車で。富山湾の定置網が点々と見える。
漁港も民宿旅館もたくさんあり。人でも多い。ひなびたところを想像していたがとんでもない。
氷見駅前では獅子舞をやっていた。ちょうど秋まつりの時期だ。 獅子頭に向かって子供が棒を持って舞う。
自分が子供のころに舞ったのと同じ形式のものだ。
野々市の西町(いまは石川県石川郡野々市町本町4丁目)でまつり前1月ほど毎晩獅子舞の稽古をしたのを思い出す。
近所のおじさんから厳しく教えられた。
獅子の胴体にリアカーを入れてきれいどころが三味線を弾いていたような気がする。
親父が獅子頭を操ったこともあったような気がする。
獅子頭の一部が欠けて太刀の木刀には血がついていたように思う。
町中歩いて白い足袋が擦り切れたように思う。 そんなことを思い出した。
食堂で刺身の定食を食べた。厚く切った刺身がこりこりしてとてもおいしかった。
七尾に夕方着く。能登島がすぐ目の前に見えた。市街地が少ないのに驚いた。
どこもよらず金沢に向かう。UFOのまち羽咋。 出そうな雰囲気が確かにあった。
ビデオでは光る物体が飛んでいるのが映っていた。飛行機か?。なぜか花火もあった。
金沢はずいぶん変わっていた。 駅は全然違う。近江町市場も昔とは違う。長町も全く違う。
今は武家屋敷跡がある観光地だ。 母の通った長町小学校のあったところ。
近くの松田小児科は今はたぶん松田産婦人科病院になっているところのように思った。
野々市の医者では治らず松田小児科に連れて行って直してもらったかもしれない。
中央通りに出て高校の同級生の家のあった畳屋は見当たらなかった。
壊れかかった土塀のある道が観光地に作りかえられていた。
金沢駅から北へ金石港へ向かう直線の道がある。昔は電車が走っていた。
私が3歳前後のころ家で雇っていた青年の実家のお祭りがあるというので 連れて行ってもらったことがある。
たぶんその時に乗ったのがこの金石線だとおもう。 金石に行く途中の駅で降りたのが夜だった。
降りて踏切でない線路を渡って暗い田んぼのあぜ道を通ってその家に着いた。
土間のある家で青年のお母さんがいたような気がする。
3歳の自分は異様にさびしくなって泣きじゃくった記憶がある。
自分のさびしいと言う感覚に 線路、あぜ道、土間、夜という記憶がいつまでも付随しているように思う。
お祭りはどこの神社のものかは覚えていない。
現在 手作り感の強い祭りをやった行燈が見えた。もしかしてこの神社かもしれないと思って必死に写真を撮った。
金石のまちはゆっくり見たことがなかった。古い家があり一つの観光地だった。
さらに大野に向かう。かつて電車が通っていたところが道路になっていると感じた。大野は港で醤油の町だ。
子供のころ家に大野の醤油屋さんの若い後継ぎの人が醤油を配達に来ていたのを覚えている。
その醤油屋さんの名前は覚えていないのでその人を捜しようもなかった。 昭和30年から35年ごろの記憶だ。