三多気の桜 2008年4月6日
三多気の桜はまだちらほら咲きだった。昨年伊勢奥津から歩いてきたところだ。今回名張から自転車できた。 盛りのときには狭い道に車に乗って1万人以上の方が来られるらしい。人が少なくてよかった。まだ田植えの時期ではないのに田んぼに水が張ってあった。観光客に見せる演出なんだろうか。 桜 水田 かやぶきの家 そんな撮影スポットが1か所あった。 古くから地元の方が桜を大切にし豊かに暮らしてきたように思う。
将軍塚 青蓮院門跡 2008年4月9日
白川を渡って知恩院の大鐘楼を通り将軍塚に至る。青蓮院門跡の桜や花桃は見頃だ。
4月3日新橋通り付近毎年3月末か4月初めに春の花が一斉に輝く日がある。平日にも関わらず祇園新橋付近にはたくさんの人が繰り出していた。植物も動物もむずむする日だ。
3月16日広橋梅林を見に行った。梅祭りをしていたけれどまだ見ごろではなかった。梅林のほとんどは農家の脇にある。農作業がしやすいようになっている。観光客に見ていただけるようにデッキやトイレ、小道も作ってあった。農村と町の交流を望んでいると感じた。 梅の植えてある斜面が西側に向いているので夕方に日がさしてきれいなんだろうと思った。この近くにはほとんど宿泊施設はなく下市温泉も銭湯だけだ。 梅を見た帰り黒滝村によって才谷を通って下市に戻った。黒滝から洞川温泉へは冬季通行止めであった。
宮大工と歩く千年の古寺 松浦昭次 著 祥伝社 発行 と言う本を読んで
大阪 和歌山の多宝塔を歩いた。
JRと南海 バス を乗り継いで回った。今回 日根野 慈眼院 岩出 根来寺 河内長野 金剛寺 の3か寺。 どれも良かった。 各寺は現在の町の繁栄している場所からは2Kmほど離れている。 そこに到着するまでの街道は直線ではなく適度に曲がっており古い大きな家がいくつも建っていた。 飛行機や自動車を使った暮らしに便利なように町が作りかえられ、生活に基本的な食べるものや着るものが都会に向かって流れている。 そのような風景の中で 古い寺院と古い道 古いつくりの家が残っているとほっとする。 そこに住んでいる方も単なるベッドタウンよりそこに住んでいるというほこりを持つことができるだろう。
2008年 1月13日
小学4年生の頃に二見が浦に行ったことがあった。賢島は大学卒業旅行で学年全員で騒いだことがある。今回 近鉄と自転車を使って回った。観光客は少なく静かだった。鳥羽水族館ははやりのものが多かった。
2008年1月8日 花のない時期。花を楽しみたいから植物園へ。
2007年12月9日
東大寺二月堂周辺の晩秋を楽しんだあと紅葉で有名な竜田川へ行った。業平の時代とは少し場所が違っていると書物には書かれていた。趣のあるところではあった。 意外なことにここは信貴山 平群町 藤ノ木古墳 法隆寺に近いところだった。竜田公園から法隆寺までは”つれづれの道”という散歩道になっていた。 京都に平安時代初期に住んでいた在原業平がこの地を訪れている。飛鳥時代 奈良時代の混乱から落ち着いた平安時代の人が昔を懐かしんでここに来たのだろうか。どこを通ってきたのだろうか。 京都から生駒山が見え 生駒山から信貴山がみえる 。 また歌姫街道から平城京そこから南下して法隆寺をとおって来たのだろうか。
入江泰吉の奈良の四季を映した写真集 ”入江泰吉 私の大和路 秋冬紀行 (小学館文庫)”の中に歌姫街道の写真がある。京洛への歌姫街道 1978年12月 と題された写真。道に2本の木と石仏が写っている。歌姫街道という名前にひかれてその光景が今も残っているのか確かめたかった。2007年12月8日午後 近鉄高の原駅から徒歩でまず歌姫公園へ。県道751号線を奈良平城京まで続く道だ。間違いなく平城京までたどり着くことができたが写真の光景がどこをとったものなのか不明。道のなかに小屋に収まった石仏と背の低い植え込みがあったそれなのかもしれない。学研都市、平城京の復元工事など 急速に変化しつつあるところで、何がいいのか悪いのかちっともわからない。東大寺二月堂から歌姫街道方面の写真です。大仏殿の屋根から画面左の方角の建屋が大極殿そこから左の森で盛り上がったところが歌姫街道辺りです。
2007年11月18日 閑谷学校を堪能した後岡山市内で一泊。翌18日暗いうちに新岡山港から小豆島の寒霞渓に向かった。6時39分の日之出をフェリーから拝む。寒霞渓の地形はは複雑で急峻。いろんな木々の紅葉と岩肌が絡み合う。ロープウエーの4分間は短すぎる。もっとゆっくり景色を見たかった。山頂で焼きたてのちくわを買い食べながら山を下りる。お猿にであう。人になれている。はいポーズ。